皆様のご愛顧を頂きまして、本blog"Intangible Japanesque~旅と猫とまた旅~"は3000にも及ぶ写真のUpload、他愛の無いメモを残すに至りました。文章を読む方はこちら。"Intangible Japanesqueの旅行メモなど"
Googleに写真Uploadし過ぎだよと言われましたので、とりあえず旅猫その1はここに完結することと致します。引き続き"Intangible Japanesque 2 ~旅と猫とまた旅のつづき~"略称『旅猫2』で写真、メモ提供して行きたいと思っています。詳しくは下記リンクをご参照下さい。"Intangible Japanesqu2 ~旅と猫とまた旅のつづき"
2008年11月18日火曜日
Intangible Japanesque 2につづく
Vietnum58~Hanoi 34~
ハノイの空港から成田へのフライトでこの旅も完結である。海外旅行は疲れるがしかし、生きる活力を与えてくれる。自分が狭い世界で生きていることを常に意識し、外に目を向ける機会を持てる。内に目を向けることはもちろん重要であるが、そのために必要なことは、同じ環境にいたのでは分からないこともある。何でも上に向かっていくものは、その速度が逓減していくからである。たまには外の空気を吸う事も意味がある。海外旅行で回れるようなところは、世界遺産だったりガイドブックに頼っていたりするから、当然バイアスがあるが、それでも日常では殆ど起こらない感動を味わうチャンスではある。
旅行記を書こうと思って、いつも挫折してしまう。写真が多いことが原因なのだろうが、写真に収めた感動を残しておきたいわけである。気が向いたら過去に遡ってアップデートしたいが、人間の記憶というものがそれほど長く残るわけでもない。だからこそ書くべきなのだろう。旅行先で見てあまり良くない、と感じていたものも、写真を見てあとで振り返るとなかなか良かったな、と思えるものである。殆ど書物に目を配るだけの日常に生きる私は、趣味が無いに等しいが、海外旅行に行くことで写真を撮ることの楽しさを覚え、一眼レフを購入するに至った。下手の横好きに過ぎないが、そういった事が自分の中に少しだけ広がりを見せる。
死ぬまでの間にあとどれぐらいの国を回れるだろうか。1つの国に長く住むことも経験してみたい。より深く外国を知るということは、日本人にとっては多くの衝撃を与えてくれるはずである。人生を豊かにするとか、相変わらず抽象的な考えしか持っていない私が、そんな経験をする時がやってくるかどうかは分からない。知りたいという欲求を満たすために済ませなければならないことは想像以上に多く、それは教科書に書いてないことの多さと一致する。苦しみを味わうことはネタになる。何も残さない人にとっては単なる苦痛でしかないだろうが、何か書いたり、あるいは歌を歌ったりする人にしてみれば、それが創作活動の糧になることもあろう。
私の書く文章など本当に何の意味も無いことが多いが、それでも何かあった出来事を書き留めておく事はその瞬間にしか出来ず、それこそ蓄積である。その蓄積が、将来何かの役に立つかも知れないし立たないかも知れない。かと言ってこの書き癖は、今に始まったことではなく、小学生、中学生の頃からのものであり、そこにweblogという便利な道具が転がっていたという自然な流れである。世の中のblogの大半は日本人が書いているものだという。内に秘める人間性が故だろうか。多くを発する国民性の国とは違って、内に秘めたものを口に出さない日本人にとってwebの世界というのはしっくり来たのかも知れない。
最近今までに増して英語を良く読んでいるつもりだが、一語一語に意味の無い英語を読むのは面倒臭いと感じてしまう。まだまだ読み足りないのは明らかであり、こんなことを私が言うのは時期尚早ではあるが、日本語の方が英語よりもずっと美しいし面白い。全部を表現しなければならない言葉は何とも効率が悪い。形にしなくても分かる美しさは、大雑把な国民性を持つような人たちに理解させることは難しいだろう。しかし英語を学ぶのは、多くの文献が英語で書かれていることが原因である。そしてコミュニケーションの手段としては、やはり英語を超えるものが無いということである。あまり好きでない言葉であっても、必要に応じて学ぶのは当然であるし、それによって全然違う国の人たちとコミュニケーション出来るというのは何だか不思議なものである。
Vietnum57~Hanoi 33~
何かを達成しようと考えた場合、それはやはり長期的な積み重ねによるのが自然であると思われる。物理的な量を積み重ねるには、人によってその傾きが異なるが、基本的には時間の経過に伴って蓄積が増加し、それをもって目的を達成することになる。一朝一夕で達成できるようなものは、誰もが出来ることであり、出来たからと言って人間が、特に強欲な日本人が満足することは難しい。自転車に乗ることですら、幼少の頃は補助輪を外すまでの間は途方もない努力をしているような気がする訳である。社会人になってから要求されることに対処するためには、その場その場で補うようなレベルではとても足りない。
例えば公認会計士が監査法人で要求されるようなことは、試験に受かったことを前提としているものであり、試験勉強で当然に獲得しているであろう内容をその場で補っているようではプロとしては失格であると言えるようだ。これは相当に厳しい要求で、通常試験に受かるのに2年~3年ぐらいかかるのが普通で、今年の試験の合格平均年齢も27歳であるから、もっとかかると見て良いだろう。1日8時間くらいは皆勉強しているし、それを何年も続けているのだから、仕事を始めてから学んだのではとても間に合わないし苦しいことが想像される。
ここで考えられるのは、予習の重要さである。多くの会計士にとって当然と考えられる内容は、その長期間に渡る学習の上での蓄積であり、突然そのために猛烈な反復を行っているわけで、表面的には本に書いてあることを言っているだけのように見えても、それなりの背景があるということである。こういったことを同じ水準で他人に求めることは不可能であるという前提に立たなければならない。こういった試験勉強は特殊な環境下でそれに特化するという環境を得ることが出来たことにより、達成できたと言える。頭が良かったとか、そういうことよりも、数多く蓄積するスピードを競った結果、初歩的な仕事をするに耐える能力を身に着けたと考えるべきであり、これは仕事のための予習に他ならない。
試験が簡単になれば、予習を怠って授業に望む学生の出来が悪いが如く、仕事の内容も時間比での質は落ちざるを得ない。OJTで鍛えるということも当然必要だが、常識として今まで扱われていたことについてまでOJTでの教育を要求されれば、その上に立つ人間の生産性も必然的に落ちる。業界が特殊だとか、既得権益で守られているとか、そういう考えの人間が上に立っているという状況は、すでにその業界の綻びが出ている状態である。それに加えて今後はゆとり教育世代と呼ばれる学生の入社が始まる。ゆとり教育は確かに問題であろうが、これは学習のカリキュラムだけではなく、時代に大きく左右された結果である。何かしらの実力を身につけて、早く独り立ちしたいと考える若者が多いのは、リストラという言葉に世の中が扇動されたことを思えば当然であると言える。
表面的な情報に踊らされて、身を守るために資格をとり、会社に入った後もその姿勢を崩さず上の人間の言うことを聞かないのは、自分しか信じない方が良いという、ある程度のインテリ学生層での常識を社会に持ち込むためである。悪いことではないが、1つ苦言を呈するとすれば、人間が学習する速度というのはいつの時代も殆ど変わらないはずだ、ということである。急激に学習能力が変わるのは、途上国が先進国になるような過程などに限定される。とすれば、多くの学生は社会に出てOJTなどで多くの事を学び、その結果ようやく1人前になるのである。難関と言われる、会計士試験に合格した会計士も(最近は簡単になったと言われているが)、試験に受かるために勉強した内容はあって当たり前の教養に過ぎず、最初は何かしら仕事を教えてもらうわけであり、それ以上のことをいきなり出来ると考えるのはやはり奢りである。上を突き上げることは当然重要であるが、それ以前に自分の中での蓄積を作り、似たようなことをしている人にそれをいかに有効に生かして行くのかという点を学ぶことがより重要なのである。同じようなことをやっていて、しかも自分より先に走っている人を追い越して行くのは大変である。だから人よりも大きな何かを達成するためには、常に予習をし続けていなければならない。これが大変であるのは言うまでもない。
Vietnum56~Hanoi 32~
深夜の飛行機に乗るために、ハノイのノイバイ空港に到着。冷房が効いておらず、暑かったのを覚えている。ベトナムは湿度が高い。この時期は常に70%以上あり、空気の汚さも相俟って心地良いと感じることは無かった。列に並んで待っていると、どこからともなく並んでいる人の列を掻き分けて何も無かったかのようにチェックインしてしまう人間がいる。堪りかねた他の乗客がスタッフに文句を言っている。秩序の無い国である。中国に行ったときも似たような経験をした。遠慮していては成長に乗っかれないのである。それがこの国の今ある姿だ。日本もそういう時代があったが、今はそのインフラに乗っかってラクをしているせいか、主張するということを忘れた。いつかインフラを丸ごと交換する時が来る。その時の日本人は相当な苦労をするだろう。しかし、その苦労が国力になる。
戦後築き上げてきた技術というものは幸いなことに素晴らしいものであった。中国、韓国、東南アジア諸国が模するまでの水準の高さがあった。しかし今ではそうやって成長した国々が競争相手として参戦し、価格競争に巻き込んで闘っている。日本の自動車産業もGMやFordに闘いを挑んで成長してきた。昔から今の地位にあった訳ではない。国が生きるために必要だったのである。日本が中国を相手にするのは至難の業であろう。物を言わないことが美徳とされる日本の企業が、したたかな中国企業と闘うことで勝ち抜くのは難しいのではないだろうか。華僑と呼ばれる人たちが世界中に広がっているが、彼等もまたタフな時代を生き抜いた。
華僑の故郷は、中国広東省の大都市広州からバスで2時間のところに開平(Kai Ping)という都市があり、ここには華洋折衷の建物が数多く存在する。2007年に世界文化遺産に登録されたこれらの建築物を近いうちに訪れる予定であるが、これらは華僑が世界中で蓄えた財産を故郷に持ち帰り、またその欧米の豪華さを模倣したものである。彼等の血の滲むような努力があったことで、華洋折衷の文化が生まれたわけである。開平は多くの華僑の故郷であり、外に出て暮らす移民の数は、現在この開平に暮らす人口を超える。
日本でも漢字を勉強する時に、中国語読みをついでに教えておいてくれれば良いのにと勝手に思う。歴史から来る両者の関係を考えればそれは難しいことであろうが、より関係が大きくなることが考えられるから、それほど間違ったことでも無いだろう。中国語読みが分かれば、日本は中国との関係で大きなアドバンテージを得られるだろう。今は多少株価が低下したり、失業率が上がってきているが、アジアでのプレゼンスは上昇を続けており、巨大なマーケットであることには変わりは無い。
日本という国は、人口減少が始まり、明らかな後退を見せ始めた。中国の世界経済に占める割合というものは、今後も暫く拡大を続けるだろう。アメリカの政策次第では、ソヴィエト連邦以来の超大国という存在にも成り得るのかも知れない。これは政治的あるいは思想的な共産主義の拡大を示すものであり、自由主義を唄う人類にとっては良いこととは言えないかも知れない。しかし今の中国の発展は、市場経済を導入したことにあるのは明らかであり、経済から政治に資本主義による影響が及ぶことで改善されていくかも知れない。何れにせよ日本にとっては脅威であることは間違いない。しかしそれに対してどうすることも出来ないのが今の日本だろう。
Vietnum55~Hanoi 31~
NIKKO HANOIから空港までタクシーを呼ぶ。確か15USDだったように思う。ベトナムは通貨ドンの脆弱さからか、USDをどこでも使用出来る。カンボジアもそうだった。今はUSDも随分弱くなったが、それでも新興国通貨に比べれば買われている。EURO安の水準も一段落したように見えるが、未だにボラテイリティが大きい状態が続く。韓国の通貨WONもやはり日本円に対して大幅な下落を見せ、日本人観光客が買い物にちょいと週末に出かけているというNEWSを聞く。
Vietnum54~Hanoi 30~
ハロン湾からハノイ市内に帰ってきて、せっかくだからということで、近くのホテルで食事をとる。ベトナムの食事はやはり合う。そういえば英会話講師のカナダ人(華僑)がベトナム料理は合うって同じようなことを言っていた。旅行での食事はストレスになるから、当然現地のものを楽しみつつ、出来るだけ和食に近いものを食べたい。1つ1つの料理は、時間が経ち過ぎていてもはや味を覚えていない。
2008年11月17日月曜日
Vietnum50~Hanoi 26~
鍾乳洞の中はなかなか素晴らしい。先にも書いたガイドは何度めだか知らないが、興味が一切無いようである。鍾乳洞の中は観光客で混雑しており、ガイドがどこにいるのか分からない。ただ道は1つしか無いので、むしろガイドなど不要である。ガイドは顔が吹き出物だらけだったが、体質だけの問題ではないのだろう。これだけ空気の汚い場所にいれば、何かしらのアレルギーが出ているに違いない。鼻炎のせいで鼻詰まりの人も多いのだろう。喘息も急増していることだろう。喘息の薬は私が喘息とともに生きているこの20~30年では相当に進化しているのは間違いないが、彼等にそういった薬へのアクセスが可能であるかは不明である。工業化の進展に伴って、そういったアレルギー患者が増えるのは仕方が無いのだろうが、いつまで続けるのだろうか。
アレルギーは人類が滅びゆく原因になるのだろうか。先進国ほど医療の研究開発に金をかけることが出来るだろうから、実はアフリカやアジアの途上国における空気の汚さのほうがずっと厳しい。東京はまだマシなのである。やはり環境を考えると中国で暮らしたいとは思えない。猛烈な勢いで発展した中国は既に老朽化が始まっているが、これを改善するところまで上昇エネルギーが持つだろうか。莫大な金をかけてぶち上げてきた経済を維持し、改善するのは容易いことではない。更に莫大な金がかかるし、成長はすぐに止まるかも知れない。BRICsという器からこぼれた世界中の年金や投資信託の金は、こういった国に恩恵をもたらした、かに見える。
急激な資金の引き揚げは、為替を歪ませるし、株価も歪む。これを歪みと呼ぶのは間違いなのかも知れない。マーケットでは起きるのは当然のことであるし、それで崩壊するようなマーケットは未熟で非効率だったと考えるしかない。観光客にしてみると、その国の通貨が暴落することは有難いが、治安が悪化するのはやはり御免である。しかしハロン湾は世界遺産ではあるが、微妙である。感動はそれほど大きくない。規模が大きすぎるからだろうか。桂林にも行って、ハロン湾とどちらが素晴らしいのかを確認せねばなるまい。しかし桂林は水墨画の世界だというが、ハロン湾は何と言えば良いのだろうか。良いことには変わりがないが、しかし個人的にはランキングの下の方にせざるを得ない。これも全てガイドのせいにしておく。
Vietnum49~Hanoi 25~
ハロン湾で最も有名な鍾乳洞まで行くという。岸について少し歩く。歩きやすい靴を履いてこいという説明書きがあったようだが、うちの奥さんはそんなものはお構いなしで、底の分厚いサンダルを履いている。ガイドは歩くのが早い。買い物をしない=Feeが入らないからかやる気がないのだろう。最近の旅行会社が安いツアーパックを提供できるのも、現地の旅行会社に提携している土産物の店からのFeeでやりくりさせるためであると聞く。このような搾取が長続きするかどうかは良く分からないが、日本人と違って金銭が一番のモチベーションになる外国人にしてみれば、何も買わない客には「おもてなし」などという概念が思い浮かばないのは当然である。
日本人を客にするのであれば、そういったシステムはうまく行かないような気がする。日本は自国のデフレを旅行会社に押し付け、日本の旅行会社はそれを現地の旅行会社に押し付ける。本来であれば為替が是正するはずだが、円キャリーなどと言った名目金利のみを追いかける短期的な投機行為が、日本人旅行者を海外で貧しい気持ちにさせる。これが結果として、海外で買い物をしない日本人を生み出す。当然利益には敏感な業者は、中国人などの通貨の強くなりつつあり、しかも金を持っている国の観光客対策に力を入れる。日本人観光客は海外では有難がられないのは当然である。インフレなどという言葉はどこかに置き去りにしてきた我が国の名目金利が長きに渡り上がらなかったのは当然である。
しかし資産の運用という意味では、銀行に預けていても金利がつかない、増えないというのでは外貨運用でスワップポイントを稼ぐというのも分からなくはない。最近は各国も金利水準を下げてきており、それを織り込みつつあるマーケットが敏感に反応して円高を演出している。今の水準であれば、外貨を買った方が良いという話もあるが、USDなどは既に実質金利は0の水準まで来ており、JPYに対してUSDが強くなるという絵が見えてこない。EUROやGBP、AUDなども当然金利を下げる余地があるということは、円高になる余地があるということである。今までのように円安になるかどうかは分からない。結局日本は存在感を徐々に薄めていって、最後はどうなるのだろうか。残念なことにそれほどのことが予想できるほどに頭が良いわけではない。
鍾乳洞に入ったのはいつ以来だろうか。ライトアップされているところを一眼レフで撮影する。手ブレしないようにするのは難しい。次の旅行では一脚などを持っていくべきだろう。カメラにはまる人間が多いのも分かる気がする。ただ私の場合は、単にそこにあるものをそのまま写したいということである。一介のサラリーマンにはそれ以上のものを生み出すような才能は無いわけである。相変わらずガイドは歩くのが早い。無視して撮影を続けることにする。しかし鍾乳洞の中の湿度は半端ではない。一気に全身から汗が噴き出してくる。現地人のガイドも少し暑そうで、まだ来ないのかという表情をして、カタコトの日本語で「大丈夫ですか」と聞いてくる。現地の他のガイドと話をして盛り上がっているようだが、こちらには笑顔1つも見せない。
25歳ぐらいだろうか。この国の国民性なのか、あるいはこのガイドそのものの人間性なのか良く分からないが、客を置き去りにして他のガイドと喋っている、と感じてしまうのが日本人である。一方で、ガイドにしてみれば、金を落とさないケチ臭い日本人だ、ぐらいに思っているかも知れない。しかし愛想の良し悪しというのは、どこの国においても大事なものであるという前提に立てば、単に気が利かないガイドだったと思うのが良いのだろう。帰りがけに喉が乾いてコーラを買っていると、そのままどんどん進んで100mぐらいは離れてしまう。これでガイドはベトナムでは給料が良いというのだから、ラクな仕事である。