日本は資本主義ではない、と言った話がM&Aに失敗した海外のファンドなどから漏れ聞こえてくる。日本はそもそも資本主義なのだろうか。これまで官僚主体で政治や経済を運営してきたため、人民に大きな権限があったという訳ではない。日本が社会主義であるとうたわれることもある。もちろん日本は根本的には計画経済ではなく、市場経済に委ねている。更にその市場規模、時価総額なども一国の経済としては、アメリカに次いで巨大であり、このような経済は共産主義やその導入段階と言われる社会主義においては達成し得なかったはずである。
Some foreign capital funds consider Japan as no capitarism. Will Japan be capitarism? There was no big authority in the people because it had managed politics and economy up to now by the bureaucrat subject. It might be said that Japan is socialism. Of course, Japan has entrusted it to not the planned economy but the market economy. Moreover, it is has not been possible to have achieved such huge economy second to the US in the communism and socialism which is called the introduction stage of communism.日本が社会主義であると揶揄されるのは、いわゆる総中流社会が生み出す横並びの思想から来るものである。横並びの思想とは、つまり出る杭は打たれるということであるが、これによって偏差値を廃止したり、徒競争で順位をつけてはならないこととしたり、全般的に競争原理とは良くないものであると批判を繰り返したりした。この結果、教育制度は退化し、日本人の教育水準は劇的に低下したと言われている。
The reason why Japan is mocked for being socialism comes from some thought that people wish that they are treated as an equal. Consequently, it can be said the education level of Japanese declined dramatically after retrogression (degeneration) of education.1990年代に日本は所得分配に最も成功した国であるとされたが、その代わりに競争力を失った。日本の企業は滅多に従業員を解雇しない。これにより生産性は低下しているかも知れない。しかしながら、暗黙知のような蓄積は頻繁に従業員が入れ替わるよりも大きいはずである。オートメーション化できないことがビジネスの現場では往々にしてあるからである。すべてマニュアル化して効率化を目指した場合には、大事なことを切り捨ててしまう可能性があり、試行錯誤を繰りかえし、プラクテイカルなものを目指すアメリカなどの国とは違う。
In 1990s, it was said that Japan is a successful contry about the income distribution, but instead lost their cometitive edge. As Japanese enterprises rarely fire their employees, that may reduce their productivity. However, accumulation like tacit knowledge must be larger than the employee changes frequently places. There is a possibility of rounding down an important thing when everything is made a manual and it aims at efficiency improvement. It is greatly different from the country such as the United States in which it aims at Practical repeating the trial and error.会社は誰のためのものであるのか、という議論が繰り返されていたが、日本とアメリカでは全く話が違う。資本主義の中では会社とは株主のものであり、一株当たり純利益やキャッシュフローあるいは配当性向をいかにして高めるか、というのが経営の目的である。日本の会社はどうかと言えば、殆どの人間が終身雇用に守られて生活してきた。経済が上向きであったり、不況でも景気後退などでない限りは、その雇用が守られてきた。
A controversy with a theme "Who is the companies for?" has been continued, however a way of thinking in Japan and the US are quite different from each other. In capitarism, the companies are for stockholders and the purpose of manaement is how to increase EPS, cash flow per share, and dividend. In Japanese companies, most people has been protected by lifetime employment , and the employment has been maintained during economic growth and also during the slump which is not as significant as recession. しかしながら、不況の場合には、仕事の数は減るわけであり、必要以上に人員を抱えた企業は固定費によって業績を圧迫することになる。ボーナスを削ることによってある程度の調整は可能なのだろうが、業績を保てるほどではない。最近では給与を上げずにボーナスで調整する企業が増えている。失われた10年からの教訓であるとされる。もちろん業種によって異なる。最近は円高の影響を受けているが、輸出企業は大幅増益を続けてきた。好景気の実感を持たぬまま、不況に突入したことにより、日本の共産化が進みつつある。
However, during slump and recession, because the number of work decreases, the enterprise that holds the number of employees more than the necessity will press the achievement by fixed costs. Though some adjustment might be possible by cutting down the bonus, it cannot keep the achievement. The number of enterprises that adjust it by the bonus without raising the salary recently has increased. It is assumed that it is a lesson from lost decade. Of course, it is different depending on the type of business. The exporting company has continued the leap profit though the influence of appreciation of the yen has been received recently. Making of Japan to communism is advancing because it rushed into the recession. Most of people could not recognize the boom.
2008年9月18日木曜日
Thailand20~Bangkok 20~
Thailand14~Bangkok 14~
惑星ですら日々誕生、成長、消滅を繰り返しているのだから、地球上での出来事はそういった大局に従うわけである。従って戦争が全く無くなり、世界中の人類が民主主義の名の下に自由を手にするような環境は永遠に有り得ない。やはり究極的に合理性を追求してしまうと人類は滅ばざるを得ないように思えてしまう。合理性の追求というものは資本主義の得意とする事であり、公認会計士の存在はそのインフラストラクチャーである。
崇高な思想を以て人類を正しいとされる方向に導いて行こうとする人間がいるが、一方で全てのものを破壊してしまおうとする人間もいる。一度壊された文明を取り戻すには多大な時間と金の犠牲が伴い、取り戻したとしてもそれは前と同じとは言えない。引き金を引いてしまうのは、狂信的な彼等にとってはいとも簡単なことであり、経済学を学ぶ事は無いからゲーム理論など知らないし、知っていても後進国は後の事を考える必要はない。
地球の自転による遠心力で殆どのものは平らになる。神に逆らってバベルの塔を建てるものは必ず制裁を受ける。地球上のリスクが人間が思い付く程少ないものとは限らないからである。全ての人間が同一であることは詰まらないが、全体としてその様な時代に人類の歴史が移り行くかも知れない。今は想像だにしないことも50年経てば起きるかも知れないと人々は考えるようになり、100年経てばそのリスクを保険でカバーするのが当たり前になる時代が来るかも知れない。
高齢化が進むという事はある一定のレベルまでは医療の発展や栄養状態の向上など望ましい側面を評価する事が出来るのだろう。しかしながら現在の日本のようになってしまえば、必要以上に寿命が延びている、いや延ばされていると言えなくもない。労働人口が減り、生産性も低下してしまう中では、巻き戻し、つまり寿命の短縮が起きることがいつかは生じるはずである。しかし出生率が上がることは今後も有り得ない。不確実性の中に子供を産み落とすという事は、その子供の生活に責任を負う親として出来ないという事なのだろう。
既得権益は蓄積するものであるがしかし、限界値に達した先はそれ以上の蓄積はを見せることは無くなり、順番待ちの時代がやってくる。組織内では胡麻擂りが横行し、自分の敵と成りうる者を蹴落とす事が仕事だと勘違いすれ者も出て来る。このような組織に未来は無いがこれが高齢化の弊害であり、戦後から続いた経済成長の膿である。こういった体制は組織を誤った方向に向かわせるが、団塊の世代の退職待ちの現状では、あと数年待つ覚悟をせねばならんのである。監査法人は定年を60歳にしたほうが良い。既得権にしがみつく爺は消え去るべきである。
Thailand13~Bangkok 13~
今を記録し、記憶しておくことは重要である。未来のための投資として、これだけ沈下した世界を認識して、人類の綻びかどうかを後で検証しなければならない。それぐらい貴重な時期を私は体験しているのだと考えるしかない。
私は世界を旅することを愛している。地球上に広がる多様性というものを愛して止まない。イスラム教徒、いわゆるアラブ人による建築物、例えばタージマハルやアルハンブラ宮殿が美しいのはそれが希少だからであり、世の中の全ての建築物がイスラム建築であるのは望ましくない。イスラム原理主義者によるナショナリズムの興起というものは世界の多様性を滅ぼし、何時の間にか世界中で軍備が進み、同時に核保有がなされることになるかも知れない。
平和国家日本もその例外ではなく、北に対する軍備の高まりが核保有を促してしまうのは寧ろ自然の流れに感じる。戦争は文明を破壊するだけの政治的手段である。しかし戦争がある状態は必然的に平和ではないが、戦争が無いことが必ずしも平和であるとは言えない。党是に憲法改正を掲げつつ、結局はアメリカ人の方向だけを向いている。自民党は未だに自己の利権を考える政治家の巣窟のようである。
親にパラサイトする娘や息子により、日本の国富が消費されている。彼等もいわゆる資本主義の犠牲者なのかも知れないが、その状況を抜け出さなければ自分達が親やその親よりも豊かになることはない。これが先進国日本の現状である。資本主義によって負け組となったとされる若い親達はモンスターペアレントと化し、我が子を勝ち組に突っ込むことに必死である。
彼等もまた犠牲者である。資本主義の主役である市場はもはや人間ごときが制御出来る代物ではない。人間は不確実性の増大に伴って、何かにすがろうとする。先進国の民は永きに渡る繁栄で(それでも人類の歴史上では非常に短いが)、宗教の存在を忘れつつある。そしてファイナンスというものに馴らされた彼等は既に宗教の効用に懐疑的であり、もはや不確実性に対処するには逐一保険に頼らざるを得ないのだと言われる。