2008年8月29日金曜日

Spain&France170~Mont Saint-Michel4~

(情報の客観性)
人間としてどうかと思うという発言に関しては、人間としてという点を本来排除すべきではないかという疑問に辿り着く。俺もついつい口走るのだが、この言葉は要するに受け売りに過ぎなくて、人としてどうかということは、実はどうでも良いことなんではないのだろうか。結局その場の都合で人間としてどうかということを考えているだけで、自分自身やその周りにいる人間以外からしたら、人間としてどう、とかそういうことは全く関係なくて、その集団そのものが必要ない、などと思われている可能性は十分にある。そもそも人間の主観が介在する時点で、情報は意味をなさなくなり、地球規模あるいはそれ以上の規模で考えた場合には、すべての情報が意味を失うかも知れない。誰かから発信される情報はその時点でまず客観性を失って、次から次へと客観性を失うことになる。最終的に残るものは、情報とは呼べず、なにか、であるに過ぎない。会計の話をしていると資産性、負債性とかいう定義が出てきたりするのだが、この世に存在し得るかどうかというものに定義を与えるとして、その要件の1つに合理性とか妥当性を掲げてしまうと何も存在し得なくなるかも知れない。そうすれば資産性・負債性という議論も無駄になりかねない。


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