(アイデンティティ)
考えがどこから湧いてきたのかという点についての検証がある。つまり、これらは個体であるというアイデンティティの喪失によるものが大きく、現状として何かしらの原因により自信を喪失しているのか、あるいはそれらの複合的な要因から生まれる虚無感、喪失感といったネガティブな発想に基づくものであると言えるだろう。人間という個体は常に例外なく自己に寛大である、現代風に言えば自己中心的であると仮定すれば、すべての言葉(例えば俺はネクラだ、とか)は自己の内部での化学的物質の分泌に基づいて発されるものであることから、客観的な言葉というものはこの世には存在しないということが確かではないか。詰まるところ、ちょっと春先頑張りすぎたツケが今頃になってカラダを蝕んでいる、ただそれだけのようだ。このようにネガティブな状態も時には人間にとって必要である。仕事をまともにしないでぼーっとしている時間は、昔の哲学者が政治に想いを馳せた時のように、悉く派生し、考えに深みをもたらす。鬱的な症状は最近になって病気であると認識されることが多くなったが、そういった病的なものは何も生み出さないのではなく、健全であるが故に目を瞑ってしまうことに関して、久しぶりに考え直す機会をもたらしたりする。
小説家藤沢周平は肺結核になり教員の職を失ったが、あるいは若くして妻を亡くし、虚無感に陥ったがその時の経験(おそらく鬱的な症状であるが)が後の作家としての人生に大きな影響をもたらしたことに間違いはない。暇で何もすることがないときにこそ、正解が見えることもある。昔は政治家は金持ちがなるものだった。金と時間のゆとりに基づく哲学的な思考なくして正しい政治活動を行うことは出来ず、目の前の金策に走らなければならない政治家への献金等は市場に対して歪みをもたらすことになる。人が死ぬ。金がなければ時間もないし、そんな中では国の行方を左右するような議論を行うことが出来るはずがない。理想では政治は出来ないかも知れないが、精神的に枯れている人間には理想すら描くことは出来ず、彼等の言う理想とは妄想の誤りである。
2008年8月29日金曜日
Spain&France171~Mont Saint-Michel5~
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