2008年4月29日火曜日

Spain&France30~Metro2~

現代に氾濫した情報に対処する方法は、簡単である。例えば本屋に行って、無駄な本を買わないようにするには、今の自分にとって役に立ちそうな1冊の本を買って、それを何回も読み返すことである。役に立つと思った情報であるのに、愚直にそれを信じて繰り返す勇気が無いことが、情報に対して無力となる原因である。多くの人が言う内容は同じである。普遍の真理というものが、そんなに沢山あるわけでもない。必要なのは、1つの情報を得て、多くについて精度の高い推測するをことであり、多くの情報を仕入れることではないのである。
マーケティングにこだわった本など、手に取るに足らない。本というメディアの存在意義は、過去の蓄積を共通化することにあるのであり、多くを売ることでミリオンセラーを生むことではない。経済原理を考えれば、本が売れるということは、著者からすれば重大な問題だが、それ以前に需要がなければ無駄なのである。本も商品であるから、それを消費する末端の消費者がいる限りは売れることになる。殆ど意味がないように見える本が売れるのも、マーケティングの威力である。
これは、中身の無いものを綺麗に装飾して売ることであり、あるいは中身があるかのように嘯き、情報を氾濫させる、消費者の嗜好を弄んだ詭弁に過ぎないことも多い。しかしそのような本を手に取り、読んでそれなりに納得し、消費して終わる。そもそも書物とは、消費するものではなく、知識の蓄積の補助に用いるものであるのだから、大きく宣伝されている本ほど紙とインクとそれに関わる人間の時間と金の無駄である。人生を浪費のために浪費する。
簡単に手に入る知識などないのである。沢山の本を読んだからと言って、それらを全て暗記して尚且つ実行に移せるほど頭の良い人間は、そのような本を手に取ることはない。解決策はないのだが、生きるための知恵はやはり自分で意識して生きることでしか培われない。本によって救われたという人は、良い本に巡り合ったのであり、その本と共に生きれば良いのである。ノウハウ本も役に立つ情報も多いのだろうが、それらをこなすことが出来ない。結局それを消費し、また同じような本を買ってしまう。
食べ過ぎることは、味覚をおかしくさせるだけでなく、内臓までにも害を及ぼしてしまう。無駄な情報を取り入れすぎることで、消化不良を起こせば、情報の取捨選択のために必要な、自分自身というものを失ってしまうこともある。生きるということは、どうしても時間がかかることなのだというある種の諦めが必要なのである。食わず嫌いというものも良くないのだろうが、過ぎたるは及ばざるが如し。ある場所で手にしたものを、他でも応用出来るという能力を磨くための本は幾らでもある。少し乱暴だが、チャート式でも買ってきて高校生の数学の勉強の復習でもすれば良いのである。

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