午後からマドリッド近郊セゴビア(世界遺産)に向かう。実際には交通の状況によるが、90分前後で到着するという話だ。また現地ツアーに参加したものの、トレドほど人気がないのか、ツアー客は我々だけである。ガイドと運転手が1人ずつで、客が2人。採算がとれているのか、本当に心配だが、観光シーズンにはバスも満席になるのだろう。
真実に迫るには時間も金もかかる。一番必要なのは客観的な情報であるのは当然だが、その情報を元に思案する場合には、最終的にはそれらをどうしても暗記する必要が出てきてしまう。自分に引き出しを沢山作って、入れたり出したりを自由に出来るようにするには、暗記という作業が必要になる。正確に言えば記憶なのだろうが、それらの情報を手元においておくには、どうすればよいのか。一度覚えた記憶を忘れないで維持するためには、どのような思索が必要なのであろうか。脳の潜在能力を使い切ることなく人は死ぬ。何のためにそのような潜在能力を有しているのか。
意味がないものを備えるということもないだろう。とすれば、昔の人間はその能力を使っていたのかも知れない。人類の規模が拡大し、様々な側面を人類の生活に合わせていくことで、地球上で失われたこともある。それと同時に、人類は過去に使っていた能力を使わなくて良くなった可能性はないのだろうか。科学的に言えば間違えたことを言っているかも知れないが、その方がロマンがある。多くの世界遺産に、超自然の現象を人間が残している。今の人間には出来ないことが、太古の時代を生きた人間には当然出来ていたのかも知れない。
世界遺産などを見ていると数百年という長い時の流れを感じる。その時に思うのは、私はせいぜいあと数十年しか生きることが出来ないのだという事である。従って、数百年先の未来を見ると言うことは、現状では不可能である。タイムマシンという過去の時代からの人類の憧れは、未だに達成されていない。それは残念ではあるが、現実として受け入れざるを得ない。しかしこの先人類がどのような方向に向かうのかということには、非常に興味がある。日本のGDPがどうのと言う議論が盛んである。ただ日本は終わりだ、と言うことは出来るが、なかなかそれをどうにかしよう、という具体的な提案まで書ける人間は少ない。
100年後の日本はどうなっているのだろうか。日本人は不幸な時代に入った。一国の経済規模としては大きいがために、国内で完結することで利益を確保してこれたし、国内で富が循環することにより、国の発展と共に、国内の産業も育ってきた部分もある。しかし他国の成長に伴い、生存競争というごく自然な現象が起こり、これまでのやり方では生き残ることが出来なくなった。下を見ればキリがないが、それでも今後の数十年で変化の苦手な日本という国が沈んでいくということは確からしい。ただ、もはや国家という概念は古いのであり、世界市民という発想を持つことが出来れば、日本人でも海外で活躍する者はいるだろうし、他国には既にそういう人材が多くいるわけである。日本だけに出来ないということもなかろう。
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2008年4月30日水曜日
Spain&France31~Segovia1(The World Heritage)~
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