大きな地震のリスクはどう回避すべきなのだろうか。人口の多い中国とは言え、6万人を超える死者が出ることなど全く想定していなかっただろう。香港に行ったときも、上海に行ったときも、地震がないから高い建物を建てられるのだと納得したし、色々な情報を見ても中国では人間が感じるような地震は殆ど起きないと聞く。日中の友好関係がどうのこうのという話にすぐに結びつけるのはどうかと思うが、政治的な事情を避けては通れないのが現状なのだろう。
人命に関わることなのだから、世界中から支援を受け入れるべきだとか、そういう話が出る方がおかしいとも思うが、幾ら支援があったとしても耐震設計など全く考えていない中国の建物の中で、今回亡くなった数万人のうちどれほどが助かったのかは疑問である。我が国は世界でも地震の数が相当多いわけで、つい最近もかなり揺れた地震があった。何も準備していなかった自分を一瞬後悔したのにも関わらず、その後も準備しない自分とは平和ボケの象徴なのだろうか。
人間を含めて動物というものは、案外簡単にその命を落としてしまう訳で、そういった意味での諦めというのは私は結構あるのかも知れない。当然家族もいるので生への執着というものはあるが、死ぬための物理的な準備、それから心構えとしての精神的な準備もそれぞれでしておくべきではないかと思う。ハングリー精神というものを失いつつあるのだろうか。生活が多少豊かになってくると、何が何でもという気持ちが薄れてくる。欲求の段階も衣食住から自己実現へと向かっていく。
この状態で何が何でもというのは難しい。いつまでもハングリー精神を保つ人というのはどういう訳だろうか。上へ上へという果てしない上昇志向は、バベルの塔でも昇らんとしている訳でもあるまい。自分1人の力だけでは限界がある。そういう時もそのうち訪れるのだろう。多くの人間が豊かになるに連れて精神的安定を手に入れ、その代わりに上に昇るための何かつっかえ棒のようなものを、いつの間にか倒して失ってしまうのである。
私は職業柄人格が一時的に多少歪んでも仕方ないのではないかという認識の元で生きている。それでも良いと言う人がいるのであれば、それで良い。人間の個体が他の個体に抱く様々な感情など地球という球体にとってみれば意味があるようなものではないのであるから。セゴビアのこの水道橋は世界遺産な訳であるが、やはり地震がないからこそ数百年経った今もこうして存在し続けているのだと言う。
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2008年5月1日木曜日
Spain&France32~Segovia2(The World Heritage)~
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