2008年4月19日土曜日

Spain&France8~To TOREDO~

トレドへ向かう現地ツアーはバスが用意されているにも関わらず、乗客はたったの6人である。これに日本人ガイドと現地ガイドが1人ずつ。採算が取れるのだろうかなんて、余計なことを考えてしまう。トレドまでは1時間程度で付くが、都心であるマドリッドからそれぐらい車で走るだけで、随分田舎の風景になってしまう。広大な大地にオリーブの木が点在する。スペイン国内でも南の方(アンダルシア方面)に行くに従って、暖かくなりオリーブ畑も増えてくると言うガイドのおっさんの話である。
道路の整備状況は日本ほどではないが、通常人間が暮らす上では不自由がないレベルなのだろう。日本では3月になると道路をほじくり返してアスファルトを新しくするということがあちこちで行われているが、そういった意味のない道路整備はヨーロッパでは行われないのだろうか。道路を無駄に作り続けることで建設業界の雇用を維持することは、希少な経済資源を不効率に使うことで、結局経済的な損失を生み出しているということになろうが、優秀な人材が集まってもそういうことになってしまうのは何故なのだろうか。
TVに出演して平気で道路は作らなければなりませんよ、と言う先生方はなかなかしたたかであるが、呑気に笑ってTVを見ていても仕方が無い。そもそもしょうもないTV番組という商品を消費している時点で、時間を非効率に使っているのだから、経済資源が云々という話を私がしても説得力がないのかも知れない。そういえば最近のTV番組はお笑いをメインにするものが増えたように感じる。それだけコンテンツとして売りやすいのかも知れないが、いずれ視聴者の目は肥えて同じネタをやるような芸人は消えてしまう。その都度コンテンツを生み続けなければならないTV業界も大変なのだろうが、そうやって一度に大量消費してしまう癖を直さないと、本当に価値あるものを残せなくなるのではないか。それとも本当に価値があるものは、現代のように大量消費されても、生き残るのだろうか。
マーケットを見つめることで、人間の行動というものが少し理解出来るようになる。例外はあるが基本的には社会活動は企業活動に近似し、その企業が活動するためには資本市場の存在が不可欠である。市場には様々な人間の意思が反映され、結果として社会そのものを映し出してしまう。市場がバブルであろうとなかろうと、本物というのは生き残るのだろうが、それでも全体的な心理が何かしらの影響を及ぼすのは間違いない。中長期で生き残るのは至難の業であり、そのような会社に投資をするというのも生半可に金融理論を齧ればいいという訳ではないのである。逆に言えば、人間の心理を把握できるのであれば、更に言えば自然の摂理を理解できる人間には投資など簡単なのかも知れない。
多くの人間が流しているような情報というものは無意味であり、本質ではない。結果としてそのようなノイズに過ぎない情報に踊らされる人間は市場からは撤退することになろうが、そのような投資家が個人投資家の大半を占めているという事実が、市場全体に及ぼす影響というものがゼロではない。日本において金融教育がなされてこなかったのは何が理由なのだろうか。土地神話というものが、日本人の資産形成に影響してきた。たとえバブルになったとしても、50年前の土地の価格に戻るわけではない。インフレが継続し、都市は発展してきた。そういった意味で発展を続ける新興国の株や不動産も経済発展が続く限りは元の水準に戻ってしまうことはない。しかしその発展の利益を享受できる人間が必ずしも全ての国民ではないことが、争いを生むこともある。このような格差は情報の格差、いわゆる情報の非対称性によって生まれるものであるが、取捨選択する能力というのは個人の努力によってある程度身に付けることが出来るものであり、然るに結果として出た労働の対価としての給料や、投資の結果としてのリターンの金額は、全て自己責任であると言い切るのは少し乱暴だろうか。

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