モノの価値というのは究極を言えば人件費なんじゃないかな、と仕事の休憩中に窓の外の建築現場を見ていてふと思う。原油を採掘するのも、企業で製品を製造して付加価値と言うものを生み出しているのも、すべて人間である。人間の代替となるロボットに関しても、人間が開発し、製品化したものである。コンピュータプログラミングもまた、全て人間の発想であるし、コンクリートをこねて乾くのを待つのは人間だが、コンクリートそのものに価値はない。
株券だってまた然りである。人間社会では価値を測定する尺度は貨幣であることが一般的だが、それは人間という生物の活動が根本にあり、ある意味で全て人件費の積み重ねである。我々はあたかもそのものに価値があるように扱いますが、金融市場で取引される株式や債券、デリバティブなども全て根本には人間の活動があるわけで、そのものに価値がある訳ではない。Valuationと言いつつ、価値を測定することにチャレンジし続けている人間も、神が生み出した法則には敵わない。
Fair Valueという概念もすんなり理解することは出来ない。所詮基準を作る人間というものは忙しいので哲学的ではありえないのだから、ある一定の枠組み(市場関係者)においてのみ理解しうる測定基準に過ぎない。不動産のValuationについて、色々書物をあさったりして勉強してみたが、結局愚かな行為に過ぎないと感じてしまう。不動産は人間の生活を映し出す小宇宙であり、これの価値を測定するに当たって、人間の生活から乖離してしまうことは不自然である。
投機的な行為による歪みというものが、市場からなかなか無くならないのは不自然であるが、長い時間をかけることによって本当に解決していくのだろうか。ひょっとすると皆が歪んでいるというものもまた自然であるのかも知れない。動物という生命体は安定を望む。しかし変化というストレスが無ければ死ぬのである。究極のストレスも究極の退屈も人間の精神を破壊してしまう。適度に安定した生活の中で、適度にストレスがあるときには人は充実感を得ることが出来るのかも知れない。それが昔からの地球上の動物の生活なのだから。
生きるためにはリスクを避けるということが必要であり、しかし全くリスクのない状態では危機意識というものを失い、次のリスクによって滅びる訳である。それがこれまでの地球の歴史であるし、我々が地球の歴史の一部でないということは有り得ないから、何かを忘れてしまっている人類はいつか滅ぶだろう。その何かは私には分からない。私は突き詰めれば人類は滅ぶべきであると思っているからである。恐竜が滅んだ理由はよく分からない。それと同じぐらい分からないが、人類が滅ぶことはごく自然なように思うのである。
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2008年4月25日金曜日
Spain&France26~MADRID PALACIO REAL4~
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