スペイン広場に向かう。「ドンキホーテとサンチョ・パンサの像」などセルバンテスを記念した像が建てられている。
自然の摂理すら科学が上回って人類が進化し続けるという見解には懐疑的である。それは自然ではなく不自然だからということだろう。私のなけなしの知識の範囲ではそういう結論である。にも関わらず、私はValuationというものを学んでいる。これは神に対する冒涜ではない。なぜならば私は無宗教だからである。しかし科学が自然というものを超えることが無いのであれば、私はその自然を神であると考えても良いのではないかと思っている。
それぐらい自然というのはそこにあることが自然なのであり、人類がエコだと言ってそれすらビジネスにして飲み込んでいく資本主義というものが正しいのかどうかは疑問である。しかし職業としての公認会計士というのは、市場がない場所では成立しえない職業である。人類にとって本当に必要なのか分からない。それでも経済学者の言うように、市場というものがアフリカやアジアの貧しい国々の貧困を解決したり、世界中の砂漠化を止めることが出来るというのであれば、それを信じたいと思う。
そして日々の暮らしに疑問を感じつつも、レジ袋をもらわないだとか、節水を心がけるとか、そういうことはしてしまうわけである。根本的な解決にならないとしても、必要以上に高騰を続ける原油や穀物があるべき姿というものを探して落ち着くことに貢献したいという気持ちからなのかも知れない。石油というものは、過去の地球の歴史である。我々は過去の地球の歴史を消費して、資本主義の枠組みの中で言う発展を続けて来た。それもつい最近の話である。
これは過去の地球上の生命体などが、我々人類の進化を見越して献身したと考えてよいだろうか。あるいは、過去の歴史を消費することは、あるべき姿ではないのか。あるがままの姿を受け入れることは、今は問題の解決に繋がらないような気がするが、例え私1人がこのようなことを考えてもマイノリティであろうし、そもそも私が問題だと思うことを地球が問題であると考えるとは限らない訳である。
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2008年4月25日金曜日
Spain&France27~Plaza de Espana1~
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