蘇州行きの動車組に乗り込む。見た目も中も、日本の新幹線と殆ど同じ。乗り心地も快適である。乗車率は100%と言ったところなのだろうか。日本と違うのは、全席指定であるということである。自由席の新幹線というのは、世界的に見ても珍しいのだろうか。新幹線は環境にも良いという話を、JRが良く宣伝しているが、確かに環境には良さそうであるし、しかも快適である。飛行機のようにセキュリティチェックも細かくなく、大きな荷物を預けたりなんだりと手続が多くない。いずれはリニアモーターカーで東京名古屋を結ぶという話もある。世界中を空路ではなく、陸路で行くということが出来れば良いが、やはり時間と金の問題でそれは不可能であろう。
駅のプラットホームに行くための通路は2つしかないので、15両からある列車の席によっては荷物を持ってかなりの距離を歩く必要がある。我々は当然ホテルに荷物を預けているが故、手ぶらに等しいの乗り込むだけだが、帰省するであろう者達はかなりの荷物を抱えている。蘇州は近いので、1時間も掛からずに着いてしまうが、中国大陸はとにかく広い。かなり遠くまでいる者もいるのだろう。
行きの電車では、混んでいるためか、あるいは切符売り場のおばやんが適当なのか、我々は隣ではなく単に連番になっているだけであったため、席が遠いな、等と思っていると、若者の3人組が席を交換してくれた。若いが故の合理性なのだろうか。彼らにとってもその方が席が近くなるし、両者にとって良い選択であると分かれば言葉が分からなくても、合理的な選択をすることが出来る。当然コミュニケーションをとるために言葉は必要であるが、困っている人間を見れば困っているかどうかなんて普通は分かるものである。一方で日本人は外国人に対してどの程度手助けをしているだろうか。 比較的優しい国民だし、何かしてお金をもらおうという発想はない人が多いだろうが、それでも言語という壁が日本という国を世界から隔離し続ける。そこに問題があると気付いているのに、それを劇的に改善しようという動きはなかなか生まれてこない。結果として教育の失敗のツケは日本の国民個人個人が負担していることになる。それに早く気がついていれば、自己への投資というものが必要不可欠であるという結論に至るはずだが、今を楽しむために金を浪費することも多い。
動車組は200km/hを超えたスピードで走り続ける。新幹線という乗り物も、様々な部品から出来上がって、鉄の塊として大地を走る。社会という仕組みも、様々な人間を構成要素(部品)として、家庭があり企業があり社会がある。所詮は歯車としての存在でしかないが、自己を主張したがるのは人間の習性なのだろうか。何か会話をしている時には、人はみな自己が宇宙の中心であるかのような錯覚をする。それらの話のうち、99%ぐらいは恐らく意味がないものであるのだが、その99%が日常となっているが故、マーケット等もそちらを向いている気がしてならない。そのような環境、あるいは時代において自己を貫くことは金にはならないが重宝され、評価されるというのが現代である。所詮は人間でしかない人間が評価したものには、価値がないように思うが、それでもそういった現実に目を向けねば自分が生きていくことが出来ないというジレンマを、どれほどの人間が抱えているのかは知らないが、少なくとも私が今抱えていることは確かである。
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2008年3月6日木曜日
Shanghai28~動車組/Bullet Train~
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