2008年8月29日金曜日

Spain&France176~Mont Saint-Michel10~

紙一重という言葉を使っておけばよいという感覚で、紙一重という言葉を使うことも多い。非常に主観的である。ガラクタなのか芸術的であるかどうかは、紙一重である。芸術は本当に主観的であると感じる。能力が高いかどうかなんて結局よく分からないのだが、人々は美術館に行きたがる。絵を学んだり、音楽を学んだりする。そういう趣味があるとなんだか素敵に見えるからという理由でそういうものに脚を踏み入れる人間も少なくないだろう。才能があるかどうかは、玄人の間では年齢を経るについてなぜか分かってくるようだ。過酷な世界である。突き詰めて突き詰めて、限界を感じるときがある。壁を感じて諦めるときがある。そういう世界は生物の個体同士の競争に近くて、ある意味真実であるような気がする。企業があって、新入社員から定年まで生き残ることがそんなに大変じゃないようなことは、むしろ不自然なことである。フリーライダーを生み出すような仕組みを作れば、どこかで無理が生じるのは当然である。こういった無理が積み重なることによって、その歪が修正されるときにエネルギーが生じてあらゆるものを壊すのは、どこにでもある話で、それは地震と構造が同じである。ただそれを研究している人間にロクなのがいないから、頭がよくてまともな人間が研究している地震の予測よりも遥かにレベルが低く、何の予防策にもならない。修正が不可能な破滅的なダメージを与えてくれる。地震によって街が壊れて人が死ぬことよりも、考えが甘い人間によって政策等が決定され人々を誤導することのほうが、最終的に地球を壊す方向に進むのだから、マグニテュードは大きいはずである。経済学で言う、神の見えざる手ではもはや修正不能になることが多いのは、余計なことを考える個人がそれだけ増えてしまったということだろう。
余計なことを考える個人が増えた時代においては、本質に辿り着くまでに、何回も肉を削ぎ落とす作業が必要であり、そういう人たちに少し何もしないでその辺をブラブラしていてもらえば、世の中から不必要なものは消えるはずである。世の中を間違った方向へ進ませるのは、個人の欲求以外の何者でもなく、政治家の欲であり、官僚の欲であり、その背後にいるありとあらゆる人間の欲でもある。選挙は自らの欲を叶えてくれる人間に対する人気投票であり、存在意義を失う。

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