2008年4月21日月曜日

Spain&France11~TOREDO3(the World Heritage)~

カテドラル内(撮影禁止)。ガイドのおっさんが撮影禁止の時の撮り方講座を開講し出したので、それに従って果敢にも撮影に挑戦した。馬鹿な日本人観光客と思われないように気を付けたが大丈夫であろうか。しかしカテドラル内の天井画は美しい。どうやって描いたのだろうかといつも不思議に思うが、長時間をかけて描いたという事実しか分からない。外は20~23℃と暖かい陽気にも関わらず、ひんやりしたカテドラル内部に昔の建築技術の高さを思う。そして残念ながら静寂を保つカテドラルにおいては、一眼レフのシャッター音が響いてしまうことに気付く。
このような教会建築も、司祭の見栄で建築されたという部分も歴史的にあるのであろう。キリスト教についてはかけらも知識がないが、日本で坊主がフェラーリを乗り回すのも同じくくりにして良いのだろうかなどと考えつつ、カテドラル内を上を見上げた状態で歩き回る。最近はこのカテドラルのミサに集まる人間も少ないそうである。スペインの経済はヨーロッパ内においても他国に比して高い成長を続けてきた。
そのような経済環境が良好の時期には、ミサに訪れる人数も経るようで、以前不景気の時代には収まりきらないほどの信者が訪れたというが、今では数10人、少ないときは10人を切ることもあるという。経済環境と信仰は反比例するのだろうか。結局人間というのはご都合主義であり、常日頃から信仰のための祈りをしているような者は少ないのだろうか。イスラム圏の人間はもっと宗教を語るように思うが、豊なヨーロッパではそもそも信仰が薄れてしまうのは仕方ないのかも知れない。
心の拠り所としては非常に重要な役割を果たしてきた宗教も、一部の豊な人類にとっては、自然災害などが起きた時ぐらいしか借り出されないこともあるのかも知れない。貧しい国ほど助かりたい、あるいは救われたいという気持ちは強いのだろうし、現にアフリカなどの国へ行ってしまう司祭もいるという。それはつまり、スペインのような国では信者を集めることが出来ないし、集まる信者も信仰の薄い者が多いのだろう。そのような状態では司祭も存在意義を失ってしまう。
人は何故か皆存在意義を求めて生きてしまうのであり、単に1つの動物の種であるに過ぎないことを普段の生活では意識することが出来ない。1個体の発言が自然界に影響を及ぼしてしまうことは本来あるはずもないように思えるが、不思議と世の中はそういった無意味なことによって歪む。その歪みは市場が適切に働けば是正されるのであろうが、そもそもモノの価値というものを人間が定めている以上は主観性を拭い切ることは出来ないのであり、単に自分の周りで、あるいは人間社会において客観的であると思われていることを盲信するのは人類にとって危険である。やはりモノの価値を測定するというのは、人類にとっては神への挑戦なのである。神を信じない私は無謀にも何にどのような価値があるのかを測定しようとし、その壁の厚さを測るだけで終わる。

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