国が発展していく段階というのは、コスト等の増加や環境えの影響をそれほど気にしないということもある。インフレや発展と言われている何かが全てを治す状態にあるからなのだろうか。企業もそういうところがあるのかも知れない。利益基調にある状態では、設備に過剰投資したり、人員を過剰に採用したりしている。これは必ず繰り返され、後の利益の圧迫要因になる。人間の性なのであろう。個人のレベルでも恐らく同様のことが言える。経済的に富んでいる状態であれば、多少の支出を気にしないことも多い。この支出が浪費か投資かで大きく違うのであるが、浪費であることが、国も企業も個人も多い。全て人間が行うことであるから、それもまた仕方ないのかも知れない。
歴史が繰り返していて、学ぶことが多いということから分かるように、あまり先のことは考えなくても、古典を読んでそのように生きれば、なるようになるというのが正しいのであろう。パラダイムシフトが起こるときや、技術革新があるときには、時代から取り残される可能性があるので、必ずしも歴史だけを学べば良い訳ではないが、それを考慮したとしても本来の姿からの乖離を確かめる上では有効な手段である。今は先行きが不安になる、楽観視できないのが普通の日本人の感覚であると思われるから、結局肝腎なことを考えずに、今を生きることに必死であり、さらに良くないのは今さえ楽しければいいという浪費的な発想をしてしまう。結局企業の中にいても、儲かったり儲からなかったり、会社が潰れたりという現状にあるからか、企業を成長させていこうという気概もなく、企業の経営陣の考えでは投資であるものが、いつの間にか浪費になっているということも多いのかも知れない。全てにおいて同じようなことが言える。政治家にも立派な人間はいるのだろうが、国民に対して発信される情報は、いつの間にか検討に値しない情報に差し変わり、それを迎合している愚かな大衆という構造になっている。これでは国が機能せず、海外のメディアで酷評されるのは当然である。
国民1人1人のレベルを考えたときに、日本人は世界の中でも意味の無い会話を繰り返す人間が多くなっているのではないだろうか。居酒屋に行って愚痴をこぼし、その帰りの電車の中でも別の愚痴をこぼし、駅のホームでゲロをこぼす。そして帰って妻に迷惑をかけて、そのまま布団に入って寝てしまう。こういった非生産的な行動を飲みニケーションとかいう言葉ですり替えて、いつまでも時間を無駄にし続けるということを、いい加減止めたほうが良い。そうすれば私が金曜日の夜に遅い時間帯の電車で帰宅するときに、不快な思いをすることなく、ゆっくり本を読みながら帰ることが出来るのである。
2008年3月5日水曜日
Shanghai3~車窓からの上海街並/Shang Hai city from car window~
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