2008年3月5日水曜日

Shanghai19~蘇州行き切符購入/Ticket for Suzhou~

上海駅の端に切符売り場を発見する。英語表記が少ないのでこれだけでも一苦労であるが、欧米から来る観光客に比べれば、中途半端であっても漢字を理解できる我々はマシであろう。結局往きの切符しか買えない。往復でなければ意味が無いのは常識的に考えれば分かるのだが、売り場のおばやんが蘇州と杭州に行けば沢山チケットがあるから、そこで買ってくれと言う。それを信じる私はお人好しの日本人である。これが後に後悔を招く。(後日詳述。)日本は様々な文化を融合させて発展している。それは他国の歴史においても同じである。今、日本は宗教という信仰の対象を失い、現実に存在する人間を偶像化し、それに救いを求める状態が続く。そして一部では、それが救われるはずがないのだと気づきながらも、大半がそうであるから、その大半を無視することも出来ないのであると言う者もある。
宗教を失うということはどういうことなのだろうか。宗教が存在するが故、争いは起こり、人々は死ぬ。しかし宗教を失い、それが故救われる者も救われなくなり、人々は自ら命を絶つ。強い人間は多くない。究極の合理性というものを追求すれば、人類は滅ぶはずであるが、現に存在し続けている以上は、何か解決策があってそこに存在している可能性もある。
パンを売るおっさん。誰も買いにこない。こういった商売は成り立たないであろうと容易に推測されるのだが、何故続けているのだろうか。非合理性が生み出している職業というものは、失業率という統計値を歪めているに違いない。これでもバスの切符売り場の横で売っているのだが、写真に写る多くの人々は、彼のパンなど買う余裕はなく、チケットオフィスが開くのを列をなして待っているのである。列をなしてまで何かを食べたり買ったりすると、日本人は揶揄されていることがあるが、上海では人気があろうがなかろうが、単に交通機関を利用するためだけに何列もの行列が出来てしまうのである。この人口が正しい方向を向いて歩み始めている。その勢いに、少数民族の日本という国が抗う術というものは、今のところない。

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