2008年11月17日月曜日

Vietnum33 ~Hanoi 9~

写真は道路の途中に立ってパンを売る女性である。皆地方に帰る途中に、パンをお土産にするという。こんな排気ガスまみれのパンを食す気には到底なれないが、ただのパンですらベトナムの田舎では贅沢品である。フランス植民地時代があったことを思い出して、「フランスパンですか?」と冗談ぽく聞くと、「ベトナムパンです。」と何事も無かったかのように回答される。ベトナム戦争は枯葉剤についての本を幼少の頃に読んだだけで、それ以外の知識は殆ど持っていなかったが、共産主義と資本主義について考える機会を持つことで色々見えてくる。日本という平和ボケした国の国民には、到底理解が及ばない世界ではあるが、韓国併合や満州国についてを思えば、こういった戦争についても、やはり無縁ではないとも言える。
戦時中は、民族間での争いというものはあったわけであり、もしも日本が戦争に勝っているようなことがあった場合には、今でも民族同士の争いが続いていて、独立のための戦争をしていたかも知れない。当然在日コリアンなどへの差別というものは今でも存在する訳であり、その規模の大小によっては軍事的な争いにもなっていた可能性がある。銀座から日銀までの中央通りを散歩して見る猛烈な平和ぶりを思えば、今では起こり得ないように思うし、色々な団体が色々な圧力をかけている内はまだ大丈夫だろう。戦争を侵略戦争だったというかどうかという点については、深い知識も戦争経験も無いことから、意見を言うことは難しいが、国民は学ぶことにより、真実を知る義務があるように思う。
誰も教えてくれないのは当たり前である。教科書はタダでは無いが、真実が書いていない場合もある。金を払って教科書を買っているのに、その本にすら正しいことが書いていないというのだから、どこに真実が書いてあるというのだろうか。歴史認識について客観的であるものというのが、既にバイアスのかかった情報を読むことが通常の現代人には触れることが難しい。古典以外の本は技術革新が起こったような場合を除いて、やはり殆どいらないように思う。勝手な解釈をして、余計なことを書くのをやめろと読者側が賢くなれば、売れる本よりもちゃんとした本を出版社が出すようになるだろう。
やはりノウハウ本を見ても、何の意味も無い。ノウハウ本のくせに200ページ、300ページあるというのだから良く分からない。ノウハウというぐらいだから、身につけて使うのだろうが、数百ページあるような内容を日常の中で実践できるようなキャパシティを持つような人間は殆どいないはずである。必要に応じて研究、ないし知識を深める目的で本を買うのは分かるが、その辺にいるおっさんやおばさんの本を読めば、劇的に効率が改善するかと言えばそうではない。両書を選定して読めば良いのだろうが、それもまた難しい。選定する人間にそのような能力があるのであれば、それらを上回る本を書いているはずだからである。
従って、出来るだけ古典に近い、枝ではなく幹になる本を読むしかない。となると教科書になるわけだが、高校までの教科書はバイアスが強いし、日本語への翻訳過程でおかしなことになる洋書もある。結果として洋書の原典に当たろうと決意するわけだが、日本で買うと高いし、私のようなドメスティックな人間が英語の分厚い本を読むためには猛烈な時間がかかる訳である。と言っていると、インド人や中国人に馬鹿にされそうなので、止むを得ず電子辞書を片手に英語の本を読み、ボキャブラリの改善の無さに日々挫折する。

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