2008年2月25日月曜日

India45

インドでは、教育が義務教育ではないから、未だにカーストの下の階級であった人間は教育を受けることが出来ずにいる。無料の学校もあるようだが、施しなどを受けて、タバコを吸い、酒を飲み、大麻を吸い、たいこを叩く。そういう生活をする。彼らにも宗教への畏敬のようなものはあるのだろうが、自分達の生活が苦しいから、現実はそれほどの信仰もないのかも知れない。我々のような他のアジアの比較的お金を持っている国の人間が、運転手付きで観光で車に乗って、信号待ちをしていると、こういう人達が必ず物乞いに来る。他人の赤ん坊を借りて、食事を採らせてあげてたい、というような真似までしている。Rajはお金は絶対にあげないで下さいと言う。彼らは手にした金で、食事を採るのではなく、酒やタバコに使うというのである。ラクをしてお金を稼ぎたいだけなのだとも言う。無料の教育施設はあるが、そういった場所にも行くことがなく、ただ単に日銭を稼ぐために観光客にたかろうとしている。そこには、クシャトリア※)である彼からの下級カーストや不可触民への差別があったのかも知れない。あるいは、本当に国を思い、インドという国に良くなって欲しいという願いからなのかも知れない。日本の浮浪者たちは物乞いをするということが殆どない。同じ日本人が恵んでくれるわけでもないし、コンビニのゴミで十二分に生活が出来てしまうからなのかも知れない。インドは皆貧しい。一部では富裕層がいるが、未だに貧しいという国である。GDPの成長は確かに素晴らしいものである。株式市場もバブルかも知れない。日本の市場に比べれば買われすぎであるが、それでもしかし、彼らは未だ貧しいのである。個人の投資家が、市場を買い支えるとか、そういう資産の形成などをするための、余剰資金すら持っていないという人口が日本の何倍も何十倍もいる。この個人の投資家の資産が増加することは、インドにとっては本当に重要な課題である。貧困にあえいでいる民が、生きるということを本当に楽しむことが出来るようになれば、それは地球にとっても、もしかしたら良い方向に向かっていることになるかも知れないからである。痛々しく見えるほどの貧困は、私のような観光客にとっても、インドという国が必ずしも魅力的な部分だけではないということを、しっかり認識させてくれる事実である。

※)カースト(wikipediaより)
・ブラフミン(サンスクリットでブラーフマナ、音写して婆羅門(バラモン)):神聖な職に就いたり、儀式を行うことができる。
 ブラフマンと同様の力を持つと言われる。「司祭」とも翻訳される。
・クシャトリア(クシャトリヤ):王や貴族など武力や政治力を持つ。「王族」「武士」とも翻訳される。
・ビアイシャ(ヴァイシャ):商業や製造業などに就くことができる。「平民」とも翻訳される。
・スードラ(シュードラ):一般的に人々の嫌がる職業にのみ就くことが出来る。スードラはブラフミンの影にすら触れることはできない。
「奴隷」とも翻訳されることがある。先住民族であるが、支配されることになった人々である。



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