インドでも政治家は数多く存在する。上院に250議席、下院に552議席がある。日本とインドの人口を比較すれば、それでもインドは政治家が少ない水準だろう。Rajが言うには、インドの政治家は多くの尊敬を集めるとのことである。日本の政治家というのは、どうだろうか。地方の大物議員のように、尊敬を集めている者もいるかも知れない。こういった政治家は、地方にとっての利権を確保することが出来るという点でのみ、存在意義があるのであって、国家という枠組みで考えた場合には、予め決まったパイを、大きく切り取って自分のクニに持ち帰るというだけの存在であるから、特に存在意義があるかどうかは分からない。総理大臣あるいは、その他の大臣クラスになると、かなりの力を有する場合もある。こういった人材が後世に名を残し、人々からの尊敬を集める場合もあるかも知れない。しかし、日本の政治家はやはり多すぎるという印象である。
本来必要のない議席を争う各政党の罵り合いは滑稽であり、小学生の喧嘩のレベルである。本当に優秀な人材がいるのだろうかと、心配になる。インドが全てにおいて万能であり、これからの成長が保証されているとも 言い切れない。国内での競争が始まれば、今のインドの良さを失ってしまうことだって考えられる。動物と人間との共存もいつまで成り立つかは分からない。神聖な動物とされる牛だって、交通の邪魔をするようであれば、宗教とは乖離し、邪魔者扱いをされてしまうこともあるかも知れない。他国との競争を考えると、切り捨てなければならない部分も出てくるのは当然である。大気汚染に悩むのは、なにも中国の上海や香港だけではない。インドのムンバイやデリーにおいても、大気汚染により呼吸器疾患や、鼻炎が蔓延しているのである。この状況は、日本や他の先進国がかつて辿った道と同じであり、既に手遅れの状態にあるということである。
喘息患者である私が、こういった国を訪れると、その汚染の程度というのは、自らのカラダが教えてくれる。症状の大小によって、空気の汚染の程度が分かるのである。インド郊外は大都市のデリーや香港ほど空気は汚れてはいなかった。これは、遺された自然の大きさによるものであると感じる。しかしデリーのような大都市圏で自動車も多く走るような場所や、香港島のように、土地が少ない場所では、自然を切り取って工業化を進めていくしか道がない。しかし、インドのように、広大な自然が残されている場所では、国全体として見れば大気汚染もそこまでひどくはないようである。ただ、これから自然が失われ続けるようなことがあれば、というよりもこれは必然的に起こり得ることではあるが、こういった自然は失われ、大気汚染が進み、呼吸器疾患の患者数も日本とは比べ物にならないぐらい増えるだろう。現状の国民の生活水準では、満足に医者にかかることも出来ず、日本では年々減っている喘息患者の死者も、インドでは莫大な数に上ってしまうかも知れない。大気汚染は国民の与り知らぬところで進み、彼らが豊かになる速度よりも随分と速い。
2008年2月22日金曜日
India20
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿